「峰風」とともに

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585.世界GPとMotoGP (7) レギュレーションの変更

 世界GPやMotoGPといえどもレースですから参加者が極力、対等に戦える様に
レギュレーション(規則・制限)があります。
しかし、1960年代後半まで世界GPのレギュレーションは排気量の区分位で、2st、4stの区別すら在りませんでした。
しかし、日本製マシンが活躍を始めるとライダーは各国様々な国籍でしたが、マシンは日本製という
展開になり、欧米のファン達にとっては面白くない展開になっていきました。
そこで、レースを統括していた国際モーターサイクリズム連盟(FIM)は日本車に不利になるレギュレーションの
変更をおこないました。
それが有名な気筒数制限とミッション段数制限です。(1969年施行)
排気量500ccクラスと350ccクラスは4気筒まで。
250ccと125ccは2気筒まで。
50ccと80ccは単気筒。
そして変速機の段数(ミッション段数)は全てのクラスにおいて6段までとする内容でした。

HONDAは1967年を最後に「この制限下では新しい技術開発の可能性は見出せない。」として
世界GPから撤退しました。
RC-181
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SUZUKIやYAMAHAも追従し、一時は世界GPに日本車の姿は消えました。
しかし、どうしてこの制限があると日本車は不利になるのでしょうか?
まず、気筒数制限が在ると日本車(特にHONDA)が得意とする高回転・高出力型のエンジンが作れなくなります。

RC-166
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250ccなのに6気筒もあります。

そして、もう一つのミッション段数制限が日本車封じの決め手でした。
当時、HONDAを除く全ての日本ワークスは2stエンジンを採用していました。
そして、2stエンジンはチューンすればするほどパワーバンドが狭くなる宿命を負っていました。
つまり、有効な馬力を出せるエンジン回転数の領域が少なくなってしまうのです。
それをどんな速度で走ってもパワー・バンドを外さない様、変速段数を多くして補っていたのです。
(最大14段のマシンもあったと聞きます。)
また、4stのHONDAは直列エンジンを採用していましたが、この直列エンジンという形式は、やはり
チューンすればするほどパワーバンドが狭くなるのは同じだったのです。

欧米のワークスはレーサーは馬力だけでなくハンドリングなど総合的なバランスを取る事が重要だと
言う事に早くから気付いていました。
だから、このレギュレーション変更にもついて行けましたが、日本車は直線での馬力に任せた速さに
頼り切り、コーナーは我慢してやり過ごすと言う古風な戦術に固守していたため、見事FIMの思惑に
乗せられた形になってしまいました。

その後、世界GPにHONDA、SUZUKI、YAMAHAは復帰しますが総合力の充実がいかに重要かと
言うことはケニー・ロバーツ以下名選手達によって伝授されたと言っても過言ではないでしょう。
彼等の要求を聞き入れることで総合力のアップが図れたのです。

ケニー・ロバーツ (ホッケンハイム 1981)
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by SS992 | 2010-05-17 09:40 | レース