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666.鈴鹿八耐の伝説 (2) 8時間続く短距離レース

 鈴鹿八耐はよく、8時間続く短距離レースだと言われます。

まして真夏に行われるのですから、ライダー、マシン共に過酷な環境に晒されます。

ライダーは人間ですからマシンの様に簡単には耐久力アップは出来ません

勢い、改良マシンの方に向かって行きます。

ヨシムラ GS1000 (1978年)
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1980年代当時、レースを制するのはその出力、すなわち馬力でした。

馬力トルクに回転数を掛けたものですから、トルクを上げるか、回転数を上げる必要があります。

しかし、トルク排気量が同じなら殆ど差の無い物なのです。

そのため、回転数を如何にして上げるかが、出力増大の鍵となります。

高回転、高出力のエンジンが耐久レースでも短距離レース並みのハイペースで進む鈴鹿八耐では
求められたのです。

また当時の直4は全て等間隔爆発でした。

これは各気筒の爆発時の排気ガス干渉させて他の気筒の爆発時の排気ガスを吸いだす効果を生み、
それを繰り返す事でパワーを上げて行きますが、等間隔爆発はその調整非常にやり易いのです。

しかし、反面、ある決まった回転数でしかその効果が上げられませんでした。

極言すればどんどんチューニングして行って限界まで行った時、直4は4ストロークであるにも係わらず、
2ストロークのエンジンの様な特性になります。  (狭いパワーバンドとその中での大馬力


HONDAを除く国内三社は皆、4ストより2ストを得意とするメーカーでした。

もちろん、社内では研究を重ねてはいたでしょうが、自信を持って表に出せる技術は2ストとその技術が
応用出来た直4だったのです。

八耐初期に直4を参戦させていたHONDAはそうした技術面よりも、欧州での販売戦略の一環として
1976年から耐久レースにワークス参戦を開始し、革命的名車CB750FOURをベースとして
DOHC化したRCB1000
を使っていた関係で直4からスタートしたものと考えられます。

 HONDA RCB1000 (1978年 鈴鹿八耐)
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 HONDA RCB1000 欧州耐久レース参加車両 (1976年)
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1978年が開催初年度ですが、この時、HONDAは欧州の耐久レースで活躍していたRCB1000を2台、
出場させましたが、1台は僅か1周で、もう1台も67周目転倒し、2台ともリタイヤしてしまいました。

その後1979年~1983年まで四社とも直4を採用していましたが、HONDA1984年、V4を採用しました。

1979年、1981年、1982年は直4で優勝出来ていたにも係わらず、参加マシンをV4にチェンジしたのです。
 
以後、1999年までHONDAはV4を使い続けます。

何故、HONDAのみがV4に拘ったのか? 次回は直4とV4の違いに焦点を当てて分析したいと思います。

                                                     (この項続く

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by SS992 | 2011-04-10 21:00 | レース