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668.鈴鹿八耐の伝説 (8) 1985年の死闘

 1985年ヤマハは初めてワークスチームを鈴鹿八耐に送りこみました。

ライダー
は世界GPのキング、ケニー・ロバーツと全日本ロードレース界の星、平忠彦のコンビ、マシンは
FZR750(直4)
スポンサーは資生堂の男性化粧品TECH21、と真にドリームチームでした。

 YAMAHA FZR750 (1985年)
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ヤマハは予選でポール・ポジションを獲得しながらエンジンがかからず、最後尾近くまで順位
落としてしまいました。

しかし、その後驚異的なペースで順位を上げ、38周目にはトップになりました。

6時間経過後には全車を周回遅れとしました。

しかし、2位を走るHONDAは諦めず、最後のピットインでライダー交代をせずにワイン・ガードナーが
2時間連続走行
しました。

すると、チェッカーまで残り30分を切った所でFZRはエンジン・ブローしてリタイヤして
しまいました。

結局、最後まで諦めなかったHONDA勢大逆転優勝となりました。

 HONDA RVF750 (1985年 ワイン・ガードナー/徳野政樹 組)
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 FZR750は勝れたマシンでしたがやはり無理が祟ってリタイヤしたのです。

RVF750FZR750ほど酷使はされなかったのですが、やはり耐久性と言う面では勝れていたと言えると
思います。

それはこの後に続くHONDA、V4の快進撃が物語っています。

                                              ( この項続く )


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by SS992 | 2011-04-18 21:00 | レース