1990年
教習所へ通いつつ愛車の選定を始めました。アウトライダ-誌の別冊「バイク選び」?を購入。
「憧れのマドンナ」に出会ってしまったのです。
その名は
YAMAHA XV400 ビラーゴ(Ⅰ)でした。何といっても通常位置のガソリンタンクはダミーでエアフィルターの役しかなく、恐ろしく小さなため、400ccしかないエンジンが巨大に見えるしろものでした。
色は魅惑のエメラルドグリーン(YAMAHA得意の色です。)
しかもアメリカンにしてはワインディング走行を楽しめるとありました。
一発で惚れた私は家に居る時は常に雑誌を携帯し眺めてはため息をついていました。
しかし、技術屋でもある私は欠点のチェックも怠りませんでした。
1.タイヤがスポークでチュ-ブタイヤしかない事。しかも駆動方式が
シャフトドライブである事。
これはメンテが自分で出来ない事を意味します。特に私の場合ツーリングに多用するつもりでしたので
パンクごときで旅を中断するわけにはいきません。従ってビラーゴは
不採用となりました。
2.ガソリンタンクはシートの下にあり、給油時には荷物を降ろす必要があります。これも大きな問題ではありませんが
不採用とした理由です。
何年かしてダミーだったタンクを小さいながらガソリンタンクとして2.の問題を解決した
Ⅱ型がでましたがもう私には興味がありませんでした。
YAMAHA XV-400 ビラーゴ(Ⅱ)
DUCATI 750 PASO 1987
流石に鈍い私もBMW社(これは知ってました。)の他に、イタリアのDUCATI社の存在に気が付きました。
そのころDUCATIは天才デザイナー、マッシモ・タンブリーニをビモータ社から迎え、
新しいオトナのツアラーを模索していまいた。
フルカバードボディにはDUCATIには珍しい(スチール製ではありますが)ツインスパーフレームが採用されていました。
また、バックミラーはハンドルより下に付き、まるで脇の下から後ろを見ると言う外車らしいセッティングでした。
何と言ってもスクリーンが透明」じゃない!と言う真実のデザインにしびれました。
このころから、私は限定解除をしたいと言う密かな野望を
抱き初めていたのかもしれません。
906 PASO1989