ビモータの創立者の一人、
マッシモ=タンブリーニ
ビモータの
『 タ 』 は タンブリーニ からとって付けた名前だそうです。
当時はバイクではなく電気部品を作っていましたがタンブリーニが趣味で二輪レースに
自作のバイクで出ていました。
しかし、ある時、タンブリーニはレースの事故で瀕死の重傷を負う羽目になりました。
そこで二輪レースはもうやめると宣言し、自作のマシンも売りに出したのです。
あっという間に問い合わせが押し寄せ、彼の特徴あるマシンは高価で売れました。
これがビモータがバイクコンストラクターとしてしるした第1歩でした。
若かりしタンブリーニとHONDAのエンジンを積んだビモータの処女作 HB-1
db-1 ビモータ最高のヒット作。
しかし、欧米の経営の常、タンブリーニは会社と意見が衝突、DUCATI に去りました。
この時、デザイン部門にはタンブリーニの弟子 フェデリコ=マルティーニがいました。
そして師匠の教えを生かして独自のフレームを作って見せたのです。
db1のフレーム タンブリーニの影響がそこかしこに見て取れます。
一種の
ダイアモンド型ですがどのフレームとも似ていない
独自性があります。
前後輪の荷重が50%,50%と言う理想的な配分、自由自在のハンドリングで瞬く間に
ビモータを代表するヒット商品に成長しました。
しかし、彼らは非常に不利な条件下にいたのです。
彼らはフレームのデザインはしますがエンジンは他社の製品を完成品として購入。
エンジンだけを外して自分達のフレームに積むという非常に非効率な、金の掛かる方法を
採らざるを得なかったのです。 従って失敗は許されませんでした。
彼らは自分達が信じる心のままに次々と作品を発表していきました。
スーパーモノ ガソリンタンクが単気筒エンジンの下にあります。
テージ1D センターハブステアリング機構を持つ画期的バイク。
テージ1D U字型メインフレームが特徴。
結局、
テージ1D は画期的過ぎて売れず
ビモータは経営危機から
倒産しました。
今、ビモータは
db-5、db-6を引っさげて
再度立ち上がりました。
どんな新しいもので我々を驚かしてくれるのか楽しみです。
下に私の好きなビモータの作品を紹介します。
SBR-8 SP SUZUKIのTL1000のエンジンをオールカーボンのカウルで包んだもの
SBR-8 SPのピポット部カーボンブロックの削出しで作られます。
モトコルセ db-4 db-4に日本のコンストラクター、モトコルセが手を加えた物。
タンブリーニは
DUCATIではツアラーの
PASOシリーズを設計し、
カジバがMVアグスタに変わってからは
F4で我々を魅了し続けています。
国産車はどうした!
ZZR-1400で終わりですか?