「峰風」とともに

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カテゴリ:レース( 50 )

694.ツイン・エンジンの可能性 (13) 砂漠を走る耕運機 HONDA NXR

 NXRパリ・ダカール・ラリーで王座を取ったBMWのオン・オフ車に対抗するためにHONDAが初めて
造ったオン・オフ車のワークス・マシンです。

 BMWワークスマシン ( 1985年 優勝車 1000cc 水平対向2気筒エンジン )
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 HONDA NXR ( 1986年 優勝車 780cc )
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巨大なガソリンタンクがカウルと一体になったユニークなマシンでした。

 HONDA NXR ( 1988年 優勝車 780cc )
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そしてその外見以上にユニークだったのはそのエンジンでした。

それまでオフ車と言えば単気筒なのが当たり前でしたが、BMWは得意のボクサー・ツイン
高速走行ステージでの得点を稼ぎました。

HRC(ホンダ・レーシング)はフランス・ホンダの悲鳴に近い要請を受けてBMWに勝てるワークス・マシン
設計したのです。

しかし、ボクサー・ツインBMWに一日の長があります。

かといってHONDA得意の多気筒マシン(特に4気筒)は重くてオフ車には向きません

2気筒順当と言う事になりましたが、90°Vツイン一次振動は消去出来るものの、エンジンの外形
大きくてかさみ、車体に積み難いのでパスされ、パラレル・ツイン高回転化出来る180°クランク振動
出て、バランサーが必要なので極力軽量化したいオフ車には向きませんでした。

しかし、当時、HONDAでは迎え角20°と言う極端な狭角Vツインの研究中に本来、1本のクランク・ピン
2本にして、少しずらすと90°Vツインの時の様に一次振動が取れると言う事を発見していました。

これが前回紹介した位相クランク技術です。

BMW1000ccもあるのでHONDA軽量化を狙い、回転を上げる事で馬力を稼ぐ事を考えました。

しかし、パリ・ダカの過酷さを考えると極端な高回転エンジン耐久性に疑問が持たれました。

すなわち、耕運機の如きエンジンが良いと言う事になり、結局、780ccと言う排気量が選ばれました。

この排気量位相クランクの技術を適合すると迎角45°と言うハーレー並みの狭角Vツインが誕生しました。

しかもこの45°狭角Vツイン一次振動が無いのです。

 NXR 用 水冷 V2 780cc エンジン
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ただ、狭角Vツインとするため、ボアを少なめにしてストローク量を多目にしたこのエンジンは本来のレース用高回転・高出力型エンジンには成りえませんでした。

それでも、単気筒車より、高回転を実現出来たのでフランス・ホンダの要求、ダートでの160km/h巡航
実現する事が出来ました。

そして1986年から1989年まで4連勝したのです。


                                                    ( この項続く

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by SS992 | 2011-07-28 21:00 | レース

668.鈴鹿八耐の伝説 (8) 1985年の死闘

 1985年ヤマハは初めてワークスチームを鈴鹿八耐に送りこみました。

ライダー
は世界GPのキング、ケニー・ロバーツと全日本ロードレース界の星、平忠彦のコンビ、マシンは
FZR750(直4)
スポンサーは資生堂の男性化粧品TECH21、と真にドリームチームでした。

 YAMAHA FZR750 (1985年)
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ヤマハは予選でポール・ポジションを獲得しながらエンジンがかからず、最後尾近くまで順位
落としてしまいました。

しかし、その後驚異的なペースで順位を上げ、38周目にはトップになりました。

6時間経過後には全車を周回遅れとしました。

しかし、2位を走るHONDAは諦めず、最後のピットインでライダー交代をせずにワイン・ガードナーが
2時間連続走行
しました。

すると、チェッカーまで残り30分を切った所でFZRはエンジン・ブローしてリタイヤして
しまいました。

結局、最後まで諦めなかったHONDA勢大逆転優勝となりました。

 HONDA RVF750 (1985年 ワイン・ガードナー/徳野政樹 組)
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 FZR750は勝れたマシンでしたがやはり無理が祟ってリタイヤしたのです。

RVF750FZR750ほど酷使はされなかったのですが、やはり耐久性と言う面では勝れていたと言えると
思います。

それはこの後に続くHONDA、V4の快進撃が物語っています。

                                              ( この項続く )


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by SS992 | 2011-04-18 21:00 | レース

667.鈴鹿八耐の伝説 (5) 直4とV4

 直4とV4一番の違いはその横幅の長さの違いです。
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V4の方が直4の方がエンジン幅が少ない分、マシンのバンク角も大きく取れます。

よりレーサー向きのエンジンと言えるでしょう。

しかし、V4の真価はその耐久性にあります。

エンジン幅が違うと言うことはクランク・シャフトの長さ直4は長くV4は短いと言う事になります。

一本の棒でも太さが同じだったら短い棒の方が長い棒よりも捩れ難いのです。

ましてクランクシャフトは単純な一本の棒ではなく、複雑な形をしています。

つまり、直4よりV4の方がクランクシャフトが捩れ難いのです。

そして上図を見て貰えば判る通り、クランクピンの数も直4は4本、V4は2本と少なくなっています

また、このクランクピンを支えるクランクケースの部分、ジャーナルと言いますが、これも直4は五つ、
V4は三つと少なくなっています
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つまり、摩擦抵抗が発生する部分が少ないのです。

 また、90°V型エンジンはピストンが上下動する時に発生する一次振動も零に出来ます。

フリクション・ロス振動も少なく出来る訳ですから直4よりV4の方が耐久性と言う面では勝れています。

しかし、いくら耐久性に勝れていても性能面で劣っていてはレーサー向きではありません。

666回で述べた様に、直4は等間隔爆発でレーサーの場合、狭いパワーバンドを持っています。

これに対し、V4は不等間隔爆発で排気管の圧力が低い所を使って別の排気を吸いだすと言う効果が
顕著に出る回転数が無く、どの回転数でもある程度の出力を得られます。

これは耐久レースの様な長丁場の場面では有効な特性です。

またエンジン自体の重量は直4とV4でもあまり変りませんは前記した様に大きく変ります

このため、有る程度大きな排気量のエンジンはその重量が重く、幅のある直4にするとマシンの
運動性が悪くなってしまうのです。

つまり、V4の方がエンジンをコンパクトに纏められ、耐久性も高く、運動性も良いのです。

HONDAが最初に手掛けたV4RVF1000と言う耐久レーサーでした。

 HONDA VF1000R  (RVF1000の公道走行型)
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最初は直4で開発していましたがハンドリングが悪く、エンジンをV4にして問題を解決しました。

V4は、より耐久レース向きのエンジンだと言えるでしょう。

 HONDA RVF750 (1990年 750cc)
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 HONDA RVF/RC45 (1998年 750cc)
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1984年のRS750Rでの優勝以来、1999年のRVF/RC45での勝利まで約6回も勝ち続けられたのは
やはり、V4エンジンの優位性であったと言えると思います。

                                                     (この項続く


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by SS992 | 2011-04-14 21:00 | レース

666.鈴鹿八耐の伝説 (2) 8時間続く短距離レース

 鈴鹿八耐はよく、8時間続く短距離レースだと言われます。

まして真夏に行われるのですから、ライダー、マシン共に過酷な環境に晒されます。

ライダーは人間ですからマシンの様に簡単には耐久力アップは出来ません

勢い、改良マシンの方に向かって行きます。

ヨシムラ GS1000 (1978年)
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1980年代当時、レースを制するのはその出力、すなわち馬力でした。

馬力トルクに回転数を掛けたものですから、トルクを上げるか、回転数を上げる必要があります。

しかし、トルク排気量が同じなら殆ど差の無い物なのです。

そのため、回転数を如何にして上げるかが、出力増大の鍵となります。

高回転、高出力のエンジンが耐久レースでも短距離レース並みのハイペースで進む鈴鹿八耐では
求められたのです。

また当時の直4は全て等間隔爆発でした。

これは各気筒の爆発時の排気ガス干渉させて他の気筒の爆発時の排気ガスを吸いだす効果を生み、
それを繰り返す事でパワーを上げて行きますが、等間隔爆発はその調整非常にやり易いのです。

しかし、反面、ある決まった回転数でしかその効果が上げられませんでした。

極言すればどんどんチューニングして行って限界まで行った時、直4は4ストロークであるにも係わらず、
2ストロークのエンジンの様な特性になります。  (狭いパワーバンドとその中での大馬力


HONDAを除く国内三社は皆、4ストより2ストを得意とするメーカーでした。

もちろん、社内では研究を重ねてはいたでしょうが、自信を持って表に出せる技術は2ストとその技術が
応用出来た直4だったのです。

八耐初期に直4を参戦させていたHONDAはそうした技術面よりも、欧州での販売戦略の一環として
1976年から耐久レースにワークス参戦を開始し、革命的名車CB750FOURをベースとして
DOHC化したRCB1000
を使っていた関係で直4からスタートしたものと考えられます。

 HONDA RCB1000 (1978年 鈴鹿八耐)
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 HONDA RCB1000 欧州耐久レース参加車両 (1976年)
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1978年が開催初年度ですが、この時、HONDAは欧州の耐久レースで活躍していたRCB1000を2台、
出場させましたが、1台は僅か1周で、もう1台も67周目転倒し、2台ともリタイヤしてしまいました。

その後1979年~1983年まで四社とも直4を採用していましたが、HONDA1984年、V4を採用しました。

1979年、1981年、1982年は直4で優勝出来ていたにも係わらず、参加マシンをV4にチェンジしたのです。
 
以後、1999年までHONDAはV4を使い続けます。

何故、HONDAのみがV4に拘ったのか? 次回は直4とV4の違いに焦点を当てて分析したいと思います。

                                                     (この項続く

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by SS992 | 2011-04-10 21:00 | レース

665.鈴鹿八耐の伝説 (1) 最強HONDAとその挑戦者

 前回は鈴鹿八耐に一人挑むバイク・ショップを取り上げましたが、33年の歴史を紐解くと色々と
面白い事実が浮かび上がって来ます。

33回レースでのメーカーの勝率は以下の通りです。

 メーカー 優勝回数  勝率

 HONDA  23回  69.50%

 YAMAHA  4回   12.12%

 SUZUKI   1回   3.03%

 ヨシムラ・スズキ 4回  12.12%

 カワサキ   1回   3.03%

圧倒的なHONDAの勝利です。

ここに帝王HONDAとその挑戦者と言う図式が出来上がり、鈴鹿八耐盛り上がる1要因と成りました。

特にヨシムラは弱小なパーツ・メーカーであるにも係わらず、果敢にHONDAに挑戦し、
私達を興奮させてくれました。

しかも、4回もHONDAを打ち負かし、勝利をもぎ取っています。

これは大メーカー、YAMAHA同列2位の勝率です。

 ヨシムラ GS1000 (1978年優勝 空冷直4)
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 ヨシムラ・スズキ GS1000R (1980年優勝 空冷直4)
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 ヨシムラ・スズキ GSX-R750 (1986年3位 油冷直4)
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 ヨシムラ・スズキ GSX-R750 (2007年優勝 水冷直4)
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 ヨシムラ・スズキ GSX-R1000 (2009年優勝 水冷直4)
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ヨシムラのマシンのエンジン空冷から油冷水冷と冷却方式は違いますが全て直4です。

YAMAHAも1987年の初勝利を含め、一貫して水冷の直4で参戦していました。

 YAMAHA YZF750 (1987年優勝 水冷直4)
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SUZUKI一勝しかしていませんが、その時のマシンも空冷の直4でした。

 SUZUKI GS1000R (1983年優勝 空冷直4)
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 カワサキも一勝ですが、水冷の直4です。

 KAWASAKI ZXR-7 (1993年優勝 水冷直4)
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HONDA初期は空冷直4で参戦していましたが、1984年から水冷V型エンジンで参戦する様に
なりました。 (これは2000年~2003年の水冷V2を挟んで20年間続きました。)

 HONDA CB900F改 (1979年優勝 空冷直4)
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 HONDA RS1000 (1981年 空冷直4)
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 HONDA RS750R (1984年優勝 水冷V4)
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では何故、HONDAだけが水冷V型エンジンで参戦する様になったのでしょうか?

そして、2004年以降、何故、直4に戻ったのでしょうか?

次回以降、その辺りを中心に考察してみたいと思います。                       (この項続く

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by SS992 | 2011-04-06 21:00 | レース

664.孤高の挑戦者 (3) 1098Rでの再挑戦

 2009年まではドカティ999Rで鈴鹿八耐に挑戦していたラ・ベッツリァでしたが、2010年になってからは
出場マシンをドカティ1098Rに変更しました。

 ラ・ベッツリァ 1098R (2010年)
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前後のサスペンションオーリンズ製です。
スイング・アームSBK用パフォーマンス製、リア・フェンダーとチェーンガードが一体となったものは
ラ・ベッツリァ自製のパーツです。
クラッチ・レリーズラ・ベッツリァ自製のパーツです。

細部拡大図
フェール・タンク周り
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エンジン周り
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排気系
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ここまで手を掛けた2010年のマシンですが、レース結果予選総合45位
決勝では転倒を喫するもマシンを修復してレースに復帰、130ラップしてチェッカーフラッグを受けるも
未完走扱いでした。

こうして見るとラ・ベッツリァの挑戦はマシンに関係なく、ほぼ同じ成績だと言えます。

走る実験室走る広告塔と、様々な役割を負ったラ・ベッツリァのマシンですが、
一番の参戦理由はラ・ベッツリァバイク好き、レース好きの集まりだと言う事でしょう。

実績伴わないのに挑戦を続けるのは難しい事です。

好きだからこそ、新しい技術や機能部品の開発も出来るのだと思います。



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by SS992 | 2011-04-02 21:00 | レース

663.孤高の挑戦者 (2) モンスターS4改での参戦

 2003年、ラ・ベレッツァ雑誌ライダーズクラブのプロデューサー根本 健 氏,編集長タケタズ 氏
仕掛けによって、全くレーサーにはほど遠いドカティ モンスターS4での出場を決めました。

水冷のS4はそこそこの馬力こそありましたが、とてもレーサーと言える代物では有りませんでした

 DUCATI モンスターS4 (2001年式 ST系フレーム S・B 916エンジン 916cc 101ps)
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 ラ・ベレッツァ モンスターS4改 (2003年~2005年)
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もちろん、見えない部分のチューン・アップも進んでいますが、ここまで外観が変る
もはやモンスターS4とは言えません。 
フレームにのみ、僅かにモンスターの面影が残っています。)

(そのフレームも多分、見えない所に補強が入っていると考えられます。)

前回、ラ・ベレッツァ鈴鹿八耐参加理由として走る実験室からのフィード・バックをあげましたが、
モンスターS4改での参加にはもう一つ大きな理由があったと考えられます。

それは走る広告塔です。

まるっきり勝機のない勝負に真っ向から挑んで行く・・・

日本人なら誰しもが血湧き肉踊るシュチエーションです。

それが雑誌と言うメディアで全国展開されるのですから、これほど、ラ・ベレッツァの名を広めるのに
有効な場面は無かったのです。

もちろん、そのためには有る程度の結果を残せる力量が無ければなりません。

2003年の初出場時には主催者推薦枠ではありますが決勝に進出し、43位完走と言う結果を残しました。

残念ながら2004年は予選が通過出来ず2005年は142ラップで未完走扱いになってしまいました。

やはり、純粋なロードバイクであるモンスターでは如何に馬力があってもレースを続けるのには無理が
あるとラ・ベレッツァは判断したのでしょう。

2006年からは、またドカティのトップ・エンドモデルモディファイに戻っていきました。

 DUCATI 999R 
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2006年、主催者推薦枠で決勝進出、決勝は136ラップで未完走扱い
2007年、自力で決勝進出173ラップ、57位
2008年、予選落ち 
2009年、決勝進出、転倒しながらも151ラップ、42位完走。

マシンをモンスターS4からスーパー・バイク999Rに変えても結果は大して変りませんでした。

そこで2010年にはマシンを最新型の1098Rに変更しました。

                                                                                                                      ( この項続く )

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by SS992 | 2011-03-29 21:00 | レース

662.孤高の挑戦者 (1) ラ・ベレッツァの鈴鹿八耐 参戦

 熊本のバイク・ショップラ・ベレッツァ は 鈴鹿八時間耐久レース
1997年から2000年を除く12年間、ほぼ、連続して出場しています。 

最初の参戦、1997年はYAMAHA FZ750での出場でした。

 YAMAHA FZ750 (ベース・モデル 出場車の画像なし。)
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しかし、その後は一貫してドカティのマシンチューン・アップして出場しています。

1997年ドカティのディーラーに成った事が大きな理由ですがそれだけでは12年間
八耐に挑戦する事は出来ません。

 DUCATI 996SPS (1999年~2002年)
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 ベース車両 DUCATI 996SPS
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 DUCATI モンスターS4改 (2003年~2005年)
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 ベース車両 モンスターS4
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 DUCATI 999 (2006年~2009年)
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 ベース車両 999R
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 DUCATI 1098R (2010年~ )
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 ベース車両 1098R
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特に2003年~2005年のモンスターS4による出場は優勝する可能性が殆ど無い参戦でした。

鈴鹿八耐レースですから勝利しなければ出場した意味がありません

しかし、ラ・ベレッツァレースは走る実験室と考え、出場して得た様々な成果を
自社のバイクパーツ ブランド、スピードにフィード・バックして来ました。

ですが、それだけで12年間も連続出場出来るものでしょうか?

次回は2003年~2005年のモンスターS4による出場に焦点を当てて分析したいと思います。

                                                    (この項続く

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by SS992 | 2011-03-25 21:00 | レース

661.帰って来たライム・グリ-ン (3) 800cc MotoGPマシン

 990ccでスタートしたモトGPですが、最高排気量の制限により、最大出力を抑え、レースの安全性
高める事に成りました。

これにより、最高排気量は800ccに、気筒数は無制限でしたが、気筒数が増えると最低車両重量が
増える
様に変りました。

990cc時代には4気筒と5気筒の最低車両重量は同じでしたが、800cc時代には4気筒148kg、5気筒155.5kgと4気筒が有利となり、唯一、5気筒マシンを走らせていたHONDAも4気筒に変更せざるを得なくなりました。

 HONDA RC212V (800cc 2007年度)
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2006年には他社との格差を殆ど感じさせないまでに開発が進んだカワサキのマシン、ZX-RRこのレギュレーション変更により、他社との間で開いていた格差を一気に縮める機会を得たのです。

 KAWASAKI ZX-RR (990cc 2006年度)
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 KAWASAKI ZX-RR (800cc 2007年度)
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走行抵抗より空力や運動性の向上を徹底させたデザインとなりました。
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2007年式の800cc化されたマシンは他社に比べてコンパクトな印象すらある熟成された物でした。

しかし、2008年に起こったリーマン・ショック世界的な金融危機を招き、カワサキ社内でも
財務体質の引き締めが行われ、モトGP参戦を断念せざるを得なくなりました。

そして、2009年にはワークス活動を完全に休止してしまいました。

しかも、トラクション・コントロールニューマチック・バルブスプリング等に代表される最先端技術
数々も盛り込んでいたにも係わらず、です。
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他社のワークス・チームがレースを続けられるのにカワサキだけが何故?と言う疑問が湧いてきまが、
その理由はともかく、私達が望むのはカワサキのモトGPへの早期復帰です。

カワサキさん、またライム・グリーンのレーサーをモトGPで走らせて下さい!

私達、ライダーは例え、カワサキ党でなくてもサーキットを突っ走るライム・グリーンのレーサー
その輝きが再び帰って来る事を望んで止まないのです。


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by SS992 | 2011-03-09 21:00 | レース

660.帰って来たライム・グリ-ン (2) カワサキのMotoGPマシン

 2002年時に開発されたマシンは他社のマシンと比べていかにも完成度の低いものでした。

 ZX-RR (2002年度)
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 HONDA RC211V (2004年式)
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 YAMAHA YZR-M1 (2004年式)
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 SUZUKI GSV-R (2004年式)
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 DUCATI D16GP4 (2004年式)
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前方から見たZX-RR2002前面投影面積を小さくし、空気抵抗を少なくする事に成功していますが、

 ZX-RR前後画像 (2002年度)
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後方には巨大な?テール・カウルがあり、この部分の抵抗が前進する時の妨げになっているだけで無く、
運動性にも悪影響を与えていたと思われます。

 ZX-RR (2006年式)
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990cc時代の最後の年、2006年のマシンは基本的な構成は変らないものの、マシンの熟成が進み、
その完成度は他社に劣らないものになっています。

もちろん、テール・カウル小ぶりの物に変り、運動性の向上を窺わせます。

フロント・カウルの正面に開いたラム・エア・スクープ 口は少し大きく成りました。

これはエンジンに送り込む空気量を増大出来た事を示し、出力が増大出来た事を示します。

そして、2007年から排気量の制限が更に厳しくなり、990ccから800ccに下げられました。

そして、これは今まで後手に廻って来たカワサキイコール・コンディションを与える物でした。
                                                      (この項続く


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by SS992 | 2011-03-05 21:00 | レース