「峰風」とともに

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カテゴリ:レース( 50 )

612. F4-1000R イタリアン・スーパーバイク選手権獲得 2008年

 旧MVアグスタは世界GPを席巻した歴史を持っていますが、新生MVアグスタにはワークス・チームは
持たず、レースでの実績は殆ど皆無でした。


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しかし、2008年のイタリアン・スーパーバイク選手権ではライダー、メーカーの両タイトルを取得しました。

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MVアグスタがイタリア選手権でタイトルを獲得したのは’73年のG,アゴスティーニ氏のタイトル獲得以来、
実に35年ぶりの事でしたが、F4-1000の潜在能力の高さを窺がわせる成果でした。
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by SS992 | 2010-09-02 21:45 | レース

611.MV AGUSTA F4-1000R IN BONNEVILLE

 前回 ボンネビル・ソルト・フラッツについて紹介しましたが、なんと、MVアグスタF4
ここでのスピード・トライアルを行っていました。

 2006年8月の第58回大会でMVアグスタのディーラー、FBF(ファストバイフェラッチ)
F4-1000Rを走らせたのです。

挑戦したのはP.P1000ccクラス、一般ユーザーがどこのディーラーでも手に入れられる
フル・ノーマル車での出場でした。

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記録は平均299.1km/hで従来の記録を5km/h、上廻りました。

 塩の平原にたたずむF4-1000R
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ソルト・フラッツの広大さと美しさがひしひしと伝わって来ます。(男のロマンを刺激します。)

追記 
マシンを操ったのは69歳!の黒人ライダー、ルーズベルト・ラッキー
インディアンのバート・マンローといい、バイクにのめり込むのに歳は関係無い様です。
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by SS992 | 2010-08-29 21:14 | レース

610.ボンネビル・ソルト・フラッツの伝説

 あらゆる乗り物において重視されるのがその最高速度です。(一部例外はありますが・・・。)

新しいバイクを作ったと言えば「(最高速度が)どれ位でる?」と言われるもの。

そんなスピード・フリーク達の聖地がアメリカはユタ州にあるボンネビル・ソルト・フラッツです。

ここは太古の湖の跡で見渡す限り、塩の平原が広がっています。
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その広さは412平方kmと途方も無いもので、毎年8月、ボンネビル・スピードウェイが
開催され、地上最速を競うモータースポーツ スピードウィーク で知られます。

ここで過去、幾多の伝説が生まれました。

過去記事117168 世界最速のインディアン139Dr須田とZZR1100の挑戦
 
トライアンフ・テキサスシガー (345.7km/h) (1956年)、
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ビンセント・ブラックシャドウ(1948年) (史上初の200km/h突破) 等、
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(このスタイルを見れば漢がいかに馬鹿な生き物か、解ります。
初めからこのスタイルでのライディングを意識してシートすら取っ払っています。
転んだらどうするつもりだったのでしょう。)
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バイクに限っても数知れない挑戦者達がいました。

どこまでも続く白い平原と聞くと走り易いコンクリート舗装された平面を想像してしまいますが、
実際はわだちだらけの荒れた路面だそうです。

そして、雨でも降ろうものなら、たちまちダートと化して挑戦を阻みます。

それでなくても塩の表面は剥がれ易く、ホイール・スピンを誘発します。

ソルト・フラッツで走る事自体すでに命がけなのです。

それなのに彼等は200~300km/h以上のとてつもない速度で駆け抜けました。

わだちを横切るとハンドルが左右にフルロックでゆさぶられると言う悪条件をも克服して
彼らは伝説と化したのです。
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by SS992 | 2010-08-25 21:58 | レース

606.HONDA 2stレーサーの変遷

 4stのNRでの再起が不可能と判断したHONDAは初めての2stレーサーNS500
WGPへ投入しました。

NS500 (1982)
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エンジン種類  水冷2サイクル112度V型3気筒ピストンリードバルブ方式
排気量 496.99cm3
最高出力 127.5PS / 11,000rpm
最大トルク ーkgm / 10,500rpm

1984年HONDAは更に高回転・高出力を求めてエンジンを4気筒化したNSR500を送り込みました。

NSR500 (1984) フレディ・スペンサー専用車
特に際立った特徴は外観からは解りません
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エンジン種類  水冷2サイクル90度V型4気筒ケースリードバルブ方式
排気量    499cm3
最高出力  over 140PS/11,750rpm
最大トルク  8.54kgm / 11,000rpm
変速機   常時噛合式6段リターン
サスペンション(前)  テレスコピック(正立)
サスペンション(後)  プロリンク


しかし、カウルを外すとその特徴が現れます。
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このマシンは重心を下げるためガソリン・タンクをエンジン下に装備しており、
本来のガソリン・タンクの位置には排気管のチェンバーが有りました。
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他社がやっている事はやらないと言うHONDAの技術方針の表れでしたが、
実際に作って走らせてみると色々な問題が浮かび上がってきました。

1つ目は低重心化を狙ってエンジン下に装備したガソリン・タンクでした。
走行すればガソリンは減ります。  このため、走行中に操縦安定性が変ってしまうのです。
それも悪くなる方向への変化でした。(重心が上がるのです。)
通常の配置の場合もガソリンが減ると操縦安定性が変りますが、良くなる方向なので
問題ありません。(重心は下がります。)

2つ目は前傾姿勢になったライダーの直ぐ下にマフラーのチェンバーがあるため、火傷する程熱かったそうです。

3つ目はスペンサーのライディングに合わなかった事です。
スペンサーはこのNSR500は「曲がらない」と言って嫌ったそうです。
'84年のニュルブルクリンクの時、4気筒で走ったフレディ・スペンサー
エディ・ローソン(YAMAHA)より、4秒も遅かったのですが、そこで片山敬済のNS500(3気筒マシン)を
与えてみるとあっと言う間にポール・ポジションを取ってしまったそうです。
 彼はカーブでマシンをスライドさせてコーナリングしていたのです。

スライドさせるきっかけはスロットルを開けた時に出る駆動力で「駆動力がでたな」と言う時に
更にスロットルを開けると強大な駆動力が出てタイヤに伝わり、マシンはクルッと回るのです。

そのきっかけが4気筒だと小さくて掴めない、それで3気筒のマシンの方がスペンサーには
合っていた
様です。

これは爆発間隔の違いとかトラクションとかがまだあまり重要視されていなかった時代の事です。
しかし、その後、同爆エンジン(ビッグバン・エンジン)等、トラクションを積極的にコントロールする技術が
生まれ、一時代を築きました。

NSR500(1992) ライダー ワイン・ガードナー
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エンジン種類 水冷2サイクルV型4気筒ケースリードバルブチェーン駆動
排気量 499.27cm3
最高出力 over 180PS / 12,200rpm
最大トルク over 10kgm / 12,000rpm
乾燥重量 over 130kg
変速機 常時噛合式6段リターン
サスペンション(前) テレスコピック(倒立)
サスペンション(後) プロリンク式スイングアーム

ところで余談ですが私のワイン・ガードナーと勝負して勝った実績を持っています。
(青山のホールで開かれたイベントのジャンケン大会でですが・・・。)
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by SS992 | 2010-08-09 21:39 | レース

605.世界GP 2st の 旭光 1963年のYAMAHA と SUZUKI

 HONDAとモト・モリーニが鍔競り合いをした1963年他のワークスはどうなっていたのでしょうか?
 YAMAHAはRD56SUZUKIはRZ63Ⅱで出場していました。

YAMAHA RD56 (1963)
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40ps/11,000rpm 空冷2st ロータリーディスク・バルブ 2気筒 7段変速
ライダー 伊藤史郎

YAMAHAのマシンはまだ開発途上にあった様でHONDAに出力で追いついていませんでした。
しかし、ライダーの伊藤史郎は名人で1963年のGP最終戦、鈴鹿はモリーニではなく、
HONDAとYAMAHAの一騎打ちになり、僅差でHONDAが優勝を決めました。



SUZUKI RZ63Ⅱ(1963)
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50ps以上 2st 水冷 ロータリー・ディスク・バルブ スクエア4気筒
ライダー エルンスト・デグナー 他

SUZUKIのマシンも最大出力こそHONDAを上回っていましたが、エンジンレイアウトの不備や
過大な重量に悩まされ本来の性能を中々出せないでいました。
しかし、エンジン冷却を水冷とした試みは評価すべきものがあると思います。

鈴鹿での最終戦、SUZUKIのエース・ライダー、デグナーは転倒、大火傷を負いましたが、
後続のチーム・メイトがレースを捨てて救助、1命を取り止めました。

鈴鹿のこのカーブは今もデグナー・カーブと呼ばれています。
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by SS992 | 2010-08-05 21:20 | レース

604.世界GP 単気筒の残光 モト・モリーニ 250 B G P

 1963年のWGP 250cc は HONDAのジム・レッドマン モトモリーニのタキオ・プロビーニの戦いが
最終戦の日本GPまでも連れ込んだ年でした。
HONDAのマシンはRC164 HONDA得意の4気筒マシン。

HONDA RC164 (1963)
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48ps/14,500rpm 乾燥重量130kg

対するモトモリーニはビアルベロ(ツインカム)の単気筒マシンでした。

モトモリーニ 250 ビアルベロ グラン プレミオ (1963)
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37ps/11,000rpm 乾燥重量105kg

この年は出力の大きいHONDAが直線でモリーニを引き離してもコーナーに入ると追いつかれると言う
白熱したレース展開だった様です。

いかにツインカムだったとはいえ、旧態ぜんたる単気筒レーサーが先進の技術で作られた4気筒マシン
なぜそこまで食い下がれたのでしょうか?

モト・モリーニのエンジン DOHC 4バルブ 249.3cc 37.5ps/12,500rpm カム・ギア・トレーン 
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それは単気筒車ゆえの軽量さに尽きると思います。
出力を単位重量あたりに直してみると一目両全です。

HONDA RC164 48ps → 0.36ps/kg
モト・モリーニ   37.5ps → 0.36ps/kg

と、ほとんど同じ出力なのです。
しかし、重量の重いHONDAは直線で速度が乗り易く、モリーニを引き離せました。
反対に重量の軽いモリーニはコーナーが続くと軽量であるが故の操縦性の良さでHONDAに
追いつけたのです。

最終的な勝利HONDAの上に輝きましたが、単位重量辺りの出力が殆ど伯仲していた
この2車は正に名ライバルだったようです。
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by SS992 | 2010-08-01 21:33 | レース

587. ’73 イモラ 200マイル レースの伝説

 ドカティは1972年のイモラ 200マイル レースで1,2フィニシュを飾り、その名を世界に轟かせました。

イモラ 200マイル レースで快走する ドカティF750 (ライダー:ポールスマート)
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優勝はポール・スマート、2位はブルーノ・スパッジアーリでした。

翌1973年の イモラ 200マイル レース では同じ ブルーノ・スパッジアーリ が
やはり2位に入りましたが マシンの方は全くの別物でした。

1973 イモラ 750RR
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エンジンはショーターエンジンと呼ばれるストローク64.5mm、ボア86~87mmの
ショートストローク型で、高回転・高出力を狙ったものでした。
 当時、レース界は2stが台頭し、4stのレーサーはほとんど見られなくなっていましたが、
ドカティは4stマシンのメーカーとして最後の栄光を飾ったのです。
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この後、ドカティは4stマシンの活躍の場を求めて耐久レースやスーパー・バイクに活躍の場を移し、
デスモドローミックを備えたLツイン・エンジン、トリレス・フレーム、ピポット・レス・スイングアーム等の
独自の技術に磨きをかけ、今はオートバイレースの最高峰、MotoGPを闘うまでになっています。
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by SS992 | 2010-05-30 21:11 | レース

585.世界GPとMotoGP (7) レギュレーションの変更

 世界GPやMotoGPといえどもレースですから参加者が極力、対等に戦える様に
レギュレーション(規則・制限)があります。
しかし、1960年代後半まで世界GPのレギュレーションは排気量の区分位で、2st、4stの区別すら在りませんでした。
しかし、日本製マシンが活躍を始めるとライダーは各国様々な国籍でしたが、マシンは日本製という
展開になり、欧米のファン達にとっては面白くない展開になっていきました。
そこで、レースを統括していた国際モーターサイクリズム連盟(FIM)は日本車に不利になるレギュレーションの
変更をおこないました。
それが有名な気筒数制限とミッション段数制限です。(1969年施行)
排気量500ccクラスと350ccクラスは4気筒まで。
250ccと125ccは2気筒まで。
50ccと80ccは単気筒。
そして変速機の段数(ミッション段数)は全てのクラスにおいて6段までとする内容でした。

HONDAは1967年を最後に「この制限下では新しい技術開発の可能性は見出せない。」として
世界GPから撤退しました。
RC-181
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SUZUKIやYAMAHAも追従し、一時は世界GPに日本車の姿は消えました。
しかし、どうしてこの制限があると日本車は不利になるのでしょうか?
まず、気筒数制限が在ると日本車(特にHONDA)が得意とする高回転・高出力型のエンジンが作れなくなります。

RC-166
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250ccなのに6気筒もあります。

そして、もう一つのミッション段数制限が日本車封じの決め手でした。
当時、HONDAを除く全ての日本ワークスは2stエンジンを採用していました。
そして、2stエンジンはチューンすればするほどパワーバンドが狭くなる宿命を負っていました。
つまり、有効な馬力を出せるエンジン回転数の領域が少なくなってしまうのです。
それをどんな速度で走ってもパワー・バンドを外さない様、変速段数を多くして補っていたのです。
(最大14段のマシンもあったと聞きます。)
また、4stのHONDAは直列エンジンを採用していましたが、この直列エンジンという形式は、やはり
チューンすればするほどパワーバンドが狭くなるのは同じだったのです。

欧米のワークスはレーサーは馬力だけでなくハンドリングなど総合的なバランスを取る事が重要だと
言う事に早くから気付いていました。
だから、このレギュレーション変更にもついて行けましたが、日本車は直線での馬力に任せた速さに
頼り切り、コーナーは我慢してやり過ごすと言う古風な戦術に固守していたため、見事FIMの思惑に
乗せられた形になってしまいました。

その後、世界GPにHONDA、SUZUKI、YAMAHAは復帰しますが総合力の充実がいかに重要かと
言うことはケニー・ロバーツ以下名選手達によって伝授されたと言っても過言ではないでしょう。
彼等の要求を聞き入れることで総合力のアップが図れたのです。

ケニー・ロバーツ (ホッケンハイム 1981)
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by SS992 | 2010-05-17 09:40 | レース

584.世界GP と MotoGP (6) クラシックな新車 パトン

 昔のGPレースを思わせるクラシック・レースが欧州では盛んに行われています。
ここではノートン・マンクス、マチレスG50、シーリーG50等が活躍していますが、
もう一つパトンと言う聞いた事の無いレーサーも活躍しています。

 パトン
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 パトン ストリップ状態
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これは 4st のパラレル・ツイン 500cc レーサー です。
もともとは1960年代後半に活躍したマシンですが、本格的ワークスはHONDAとMV位だった当時は
ノートン・マンクスやシーリーを駆るプライベーター達に混じって走っていましたが、2st勢の台頭とともに
1975年、設計者のパットリーニは4stに見切りをつけ、2st V4 マシンの開発に移行しました。
そして、なんと2001年まで挑戦を続けました。

そして、今はクラシック・レースでは2007年から2009年までチャンピオンを取得し続けています。
このマシンの一番の特徴はクラシック・レース専用に作られた新車だと言う事です。
クラシック・レースのレギュレーションに合わせて新たに製作された市販レーサーなのです。
しかも、GP活躍時代より工作技術も使える材料の質も良くなっており、今のマシンの方が
設計は同じでも過去のGPマシンより性能が上乗せされた形になっています。

価格はデスモセディッチRR並みですが、過去GPで活躍したレーサー達がパトンを
手に入れ、クラシック・レースに出場してレーサー・ライフを楽しんでいるのです。
頭の固い日本では考え難いレーサーです。
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by SS992 | 2010-05-09 21:47 | レース

583.世界GP と MotoGP (5)  プライベートは4stで? 

 今では考えられない事ですが、世界GPで 2stマシン と4stマシン が混走していた時代には
世界GPにプライベート参戦する強兵が沢山いました。

彼等が参戦マシンに選んだのはノートン・マンクスが一番多く、2番目はマチレスG50、シーリーG50
ほとんど4stのマシンでした。
何故か2stマシンは市販レーサーとして販売されなかった様です。
250cc、125cc には市販レーサーが存在しました。)
こうした市販レーサーのうち、珍しいマシンにはリントがあります。

これはアエロマッキ社がハーレーの傘下にあった時、活躍した250ccレース・エンジンを平行に並べたものでした。

 アエロマッキ 250cc シングル・レーサー
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このマシンのシングル・エンジンを2つ並べた500ccパラレル・ツインを積んだのがリントです。
 リント パラレル・ツインエンジン
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 リント マシン
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 リント ストリップ状態
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フレーム・ワークドカティのパンタ系に酷似していました。
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好調な時のリントは素晴らしく速く、優勝もした事もありましたが、好調な時は滅多にないと言う
悲劇のマシンでした。(プライベート・チームの悲しさ?)
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by SS992 | 2010-05-06 21:01 | レース