「峰風」とともに

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30.ついに出ました待ちに待ったSS900,しかし。(1998)

SS900      1998
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 1997年新型のSSが発表となりましたが私は唖然としました。これではスーパーモノのデザインのままではないか!SSにはSSの伝統あるデザインがあるはずだ!と怒り狂いましたが三ヶ月もすると「スーパーモノの公道バージョン」が出たと思えばいいか・・・。と気が変わっていました。但し、許せるのはフルカウルのみ!
ハーフはどうしても私の感性には会いませんでした。
 ハンドルで10mm下がり,シート高で40mm上がって相当きつくなったポジションが気になったので「禁」を破り「レッドバロン」で跨らせて貰いました。
辛うじてライディング出来るレベルでした。 
ツーリングなどとても無理に感じられました。 どうしよう・・・・。
 トボトボと「レッドバロン」を後にした私でした。

ST-4      1998
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(写真はST4ですがST2で記事の内容に合うものが無かったものでごかんべんを。
どうせこの時代、ST2と4の見かけの違いは表示だけですから。)


SS900にショックを受けた私は今お世話になっているショップ(ここはもろDUCATIの店)と言う感じで敷居が高かったのですが)に思い切って入って話をしてみました。
SSですってやめときなさい。スーパーバイクよりポジションは前傾できついんだから」とオヤジの弁。 「こんなのが良いですよ。」と勧められたのがST-2でした。パニアケース付きでSSより大分安くなっていました。面構えも宮崎アニメに出てくるロボット兵の様で非常にユニークでした。 色は希望の「黄色」だったのでかなり心が動きました。しかし、我が家の大蔵大臣は首を縦に振りませんでした。 後日SSを購入した後、ショップの若旦那が「自分で売っておいて何ですがST-2ST-4黄色を外で見るとなんて馬鹿デカイバイクなんだ。あ、黄色は膨張色なんだっけ」ですって。
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by SS992 | 2006-06-29 06:41 | 憧れだった美女達

29.許されたカスタムはクラウザーのパニアケースだけ?

 ZZR-250の時代は振り分けのソフトケースを主に使っていましたがやはりハードケースが欲しくなりなした。工具等硬い積荷を主に積むケースは痛み易かったのです。 
しかし、妻が1993年私の誕生日祝いにクラウザーのパニアケースを贈ってくれました。「カスタムはこれだけね。」の言葉とともに。今はK2タイプは30Lの黒しか無い様ですが当時は実にカラフル。容量も25L,30L,42Lと色々選べました。私は30Lの黒、しかし蓋は白の物を選びました。(写真がないので参考にCBR1000で30L黒白蓋のものを載せておきます。)VFRの車体が黒いので通勤時少しでも視認性を良くしたかったのです。
こちとら命掛かってますもんね。
但し、大きさには限度と言う」ものがあります。
42Lを着けたVーMAXを川越で見たとき、その幅はまるで軽自動車でした。
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しかし、このパニアケース、着けられるバイクには着けた方が何かと便利です。しかもバンパーの役割もしてくれて私は随分ツーリング先で助けられました。コケても足を守ってくれるのです。
また、後部の積載スペースが広大になり、大抵の物は積めました。(私はトップケースが大嫌いで絶対着けないのです。)
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by SS992 | 2006-06-28 20:55 | カスタム

28.ウーム美人は美人だな。 好みじゃないけど           916, 916SENA,748SP

 916シリーズはマッシモ・タンブリーニ入魂の傑作です。 でも最初はあまり好きではありませんでした。理由は最大の特徴の一つ「方持ちスイングアーム」です。スイングアームのシルエットまでホンダ車にそっくりなので非常に不愉快でした。でもその点を除けば戸板の先端にジョーズの顔を付けた様なユニークなデザイン, 走りに徹してピボットレススイングアームをやめる等、注目すべき点に溢れていました。
916  1993
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916 「SENA]   1995
そして悲劇のマシン「SENA」 このマシンについては思いが多く、語たれません。お許しを・・・。      
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748SP  1995
サンショウは小粒でピリリと辛い を地でいったバイクです。しかもメインカラーが赤じゃない!黄色なのです。 全くDUCATIらしい設定です。
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by SS992 | 2006-06-27 06:22 | 憧れだった美女達

27.本当にお世話になりました VFR750F(90)  (1992)

 いつもお世話になっているショップからVFR750F(90)が入荷したとの連絡。
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早速見に行きその状態から即決。1週間後に納車と決まりまいた。ただし、店頭渡しです。当日私はビビリきっていました。教習中でもこんなに硬くなった事はなかったでしょう。
無事、家に着きましたが女房は一目見て言いいました。「ウシだ!
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ただ、私が少し残念だったのは.実は逆車のを狙っていたのですがそれは適いませんでした。
前回も書きましたがこのVFRは練習用です。毎週日曜日の早朝には河川敷に出かけ、極低速走行、8の字、トライカーナ、Uターンとただひたすら練習だけを続けるわけはなく、海に山に,ツーリングに行きまくりました。通勤にも使ったので約6万kmの距離を練習した事になります。でもおかげで前傾姿勢が一番楽な長時間での乗車姿勢である事。 ハンドルに全く力を入れずに曲がれる様になった事。なんとか向き変えも何度かに一度はそれらしく出来る様になっていました。  SS900への第1歩でを踏み出したのです。
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by SS992 | 2006-06-25 20:19 | お世話になったお姉様達

26.会わなければ良かった・・・HONDAST-1100 (1989)

 限定解除を目指すのに乗りたいバイクがないのは嫌なのでとりあえずツアラーを基本として幾つか候補を挙げましたがその中の1台がHONDA ST-1100 でした。ゴールドウイングは良く見るし、何しろデカイ。また値段も高くて買えません。しかし、その夢はレッドバロンで実物を見て砕けました。 やはりデカイ、ゴールドウイングと変わりません。そしてお値段もゴールドウイング程ではありませんがやはり手の出る価格ではありませんでした。深い綺麗な緑色だったのに~。皆、貧乏が悪いんだ~。 教習教官が最初はどうせ転けるんだから安いのにしといたらとアドバイスをくれました。 結局同じHONDAでV4のVFR750F(90)を安く手に入れ練習用と割り切って思い切り乗ることが出来ました。しかし、その練習が13年間続くとはその時は思いませんでした・・・。
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DUCATI スーパーモノ  (1992)
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 私は単気筒も大好きでしかも独特のクランクバランサーを組み込んだDUCATI スーパーモノの市販を楽しみにしていた口です。(どうせ高額で買えなかったでしょうが)
しかし、神はイタズラ好きです。スーパーモノのデザインはSSのデザインの元となって甦ったのです。
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by SS992 | 2006-06-24 20:03 | 憧れだった美女達

25.試験車両  SUZUKI GSX-750F   (1990)

 もう一台世話になったバイクがあります。これはどちらかと言うと試験車両と言うより教習車両としての付き合いの方が長かったでした。私の担当教官はどんな事態でも対処出来る様にと称してアクセルがガバガバな車両やエンジンが直ぐにぐずつく車両、前輪が三角に尖っていて直進しない車両などで練習させました。それでも何とかそれらを乗りこなせる様になった時教官が突然「もう試験受けに行って良いよ。」とのたまわったのです。試験会場に着くと試験官が試験車両の暖気運転を行っていました。タイヤも温めるため気合の入った走行でした。そして試験車両を選ぶ段階で私は迷うことなくGSX-750Fを選びましたが他の人はGPXの順番の取り合いをしています。どうやらGSX-750Fは合格しない車両として敬遠されていた様です。それが証拠に完走出来たのは私だけ、合格したのも私だけ、中には一時停止で転ぶ人もいました。しかし、試験車両は完璧なまでに整備されており、これがあの教習で苦労させられたのと同じ車両とは思えませんでした。
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特に加速性能は素晴らしく鴻巣第1試験コースはスタートしてすぐ外周で60km/hをだすのですがその計測方法がストップウオッチで計る平均速度なので60km/hではだめでGPX組はアクセル全開で走っていましたがGSXは外周に入ってアクセルを開けたとたん80km/hを示してしまったのでアクセルを戻し65km/hで外周を廻りました。素晴らしい加速性能。友人が「SUZUKIのバイクは装備はダメだがエンジンだけはピカ一だ。」と言っていたのを思い出しました。それだけ優れたエンジンをもちながら、しかもバイクとしての分類はツアラーなのにも関わらず、GSXの距離計は一番簡単なダイヤル式しかもカウルを着ているのでダイヤルシャフトは20cmはあろうかと言う長いものがついていました。ヤレヤレです。
とはいえ、加速性能の素晴らしさには愛車候補No.2の座が与えられました。

DUCATI 900SL (1992)
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 このバイクもSDRと同じ様に報われない恋に終わったバイクです。
「ああ、乗りたかった。」  でももう君はいない。
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by SS992 | 2006-06-24 07:59 | お世話になったお姉様達

24.試験車両 KAWASAKI GPX-750R    (1990)

 当時はまだ401cc以上のバイクに乗るためには泣く子も黙る「限定解除試験」を運転免許センターで受ける必要がありました。 その時の試験車両がこのGPX-750Rでした。(鴻巣運転免許センター) 特別くせのあるバイクでもなく非常に乗り安かったのを覚えています。しかし、肝心の試験の方は一向に受かりませんでした。1回目1本橋から脱落。2回目スラロームでパイロンを引っ掛け不合格。3回目波状路でエンストし、バイクを降りず再スタート出来ましたが認めてもらえませんでした。 法規コースでは一度も引っかからないのにテクニカルコースで引っ掛かっていたのです。まだ大排気量車に乗る資格がないのは明白でした。
GPX-750Rと言うとそんなに古いバイクではありません。しかし、ウインカーはプッシュキャンセルではなく自分で元に戻さなければ成りませんでした。KAWASAKIのサービス精神のなさがこんな所にもでていました。
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  851 ストラーダ  (1988)
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 スーパーバイク選手権で無敵の活躍を見せるDUCATIはそのレーサーレプリカとして
851 ストラーダを発売しました。しかし私には手の出る金額ではなく、また、第2次世界大戦で最初に手を上げただらしない国と言う親の洗脳もあって全く興味が沸きませんでした。
ところでストラーダってイタリア語で「道」と言う意味ですよね。なんで自分とこの売り物バイクに単なる「道」と言う名前をつけるのか最近まで解かりませんでした。しかし、ニューカマーのマルティンストラーダが出たことでその疑問は氷解しました。
マルティンストラーダすなわちマルチな道=道をえらばない。と言う意味だとすれば
851ストラーダはようするにスーパーバイクレーサーの単なるレプリカではなく、スーパーバイクレーサーを公道で走れる様にしたものなのだと言うことだったのですね。
全くニブイSS992でした。
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by SS992 | 2006-06-24 06:47 | お世話になったお姉様達

23.通りすがりの鉄火娘 YAMAHA SDR  (1989)

 YMAHA SDR このバイクは私のバイク選びには対象とならないバイクです。シングルシート、積載性はほとんどない、エンジンは2st、私にとってはマイナス要素の固まりみたいなバイクだったのです。しかし、恋は理屈ではありません。許されぬ恋に身を焦がす日々が続きました。そんなある日、行き付けのバイク屋に行って見ると彼女(SDR)がいるではありませんか。店長に頼んで跨らせて貰いました。ハンドルがメチャクチャ遠く感じました。「オレではダメだ。」「坊や腕を上げて出なおしな!」 完全にフラレたのであります。でも、もしかしたら今なら・・・秩父のワインディングを一緒に駆けれるかもしれない。SSが許さないと思いますが。
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鉛筆の様に細いガソリンタンクこれが私が惚れたツボの一つでした。
あとはDUCATIとは違うメッキのトラスフレーム・スイングアーム・・・物まねで無い本物だけが持つ馨しい香りに満ちていました。












DUCATI 900SS HF 1991
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DUCATIの普及に一番功績があった900SSHFです。世間一般もそうでしたが私も試乗して一発で惚れこんだ口です。 まるで旧式の複葉戦闘機に乗っているのかと錯覚するような不思議な体験でした。 RedBronの店長は「何度でも来てください。」と言っていましたがもう一度乗ったら引き返せないことになる。と考えDUCATIは封印しました。(この時はすでに限定解除してました。)なにかSDRに近い匂いがしたのを今は懐かしく思い出します。
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by SS992 | 2006-06-23 20:37 | 憧れだった美女達

22.強力無比な女神たち ZZR-1100 と BIG-1(1990)

 前回は散々KAWASAKIの批判を書きましたが、やはりKAWASAKIそんなものはものともしない隠し玉を用意していました。 
それは言わずと知れた「ZZR-1100」です。
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その存在感はあたりを威し何も言わせない迫力がありました。ZZR-1100は改良を続け今はZZR-1400になっていますが私は一番最初のC型が一番好きです。

それともう一つ感動したのがHONDAのBIG-1プロジェクトです。1000ccにもかかわらず他のどのバイクより堂々として見えました。18インチホイールの威力です。「どうだ!乗れる物ならのってみろ!」とあからさまにバイクが言うのです。それでも腕に覚えのあるライダー達はこれを乗りこなして見せました。 自転車乗りで左側からだけ乗り降りする女性ライダーもいたのです。かくして私は限定解除する決心を固めました。
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この2台は私にとって「憧れの美女」どころではありません。 です。
恐れ多い「モーターサイクルの女神」です。
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by SS992 | 2006-06-23 07:07 | 憧れだった美女達

21.怪談「首無し飛燕の行列」はごめんだぜ (1990)

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 戦前日本には優秀な飛行機会社が多数ありました中島、三菱,愛知、・・・そして「川崎」です。川崎は液冷のエンジンを得意とし、ドイツのダイムラー・ベンツ社からDB601のライセンスを受け、キ-61 三式戦闘機「飛燕」Ⅰ型を送り出し,劣勢ながらもB-29に立ち向かっていったのです。しかし、高空性能の差はいかんともしがたく、DB605を積んだⅡ型の出現が待ち望まれました。しかし、DB系のエンジンは燃料噴射型。 当時の日本の技術の手におえるものではありませんでした。結果、所沢の陸軍航空隊の飛行場の片隅には「首無し飛燕」がずらりと無残な姿を曝すことになりました。しかし、捨てる神あれば拾う神ありでやはり戦局の悪化で余ってきた百式司令部偵察機用の空冷エンジンを「首無し飛燕」に付けようと言うことになり誕生したのが「五式戦闘機」でした。機体も軽くなり想像以上の成功だったようです。しかし、当時の日本の工業力はドイツへいった技術視察団の将校が「どうだ作れるか?」と聞いたところ、技術者(職人)は「1個だけそっくりなものを作れと言うなら命に変えて作って見せます。しかし、日産50個などの量産はとても無理です。」と言う答えが返ってくるレベルだったのです。 その事を友人に話したら「あんたいったい何年前の話をしてるんだ。いまのKAWASAKIのバイクは大丈夫さ。」とうけあってくれたのです。
なんでこんな長い前置きをかいたのかと言うと中免取得後購入したのがKAWASAKIのZZR-250だったからです。ZZR-400は相当気に入ったのですが車検があるバイクは限定解除してからにすると心に決めていました。
                     
ZZR-250
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                      ZZR-400
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ZZR-250は車格もありパワーの出方もシロートにも優しくアクセルを捻れば40HPの底力を見せてくれる大変理想的なバイクでした。しかし、一つ大きな汚点をのこしたのです。それは三浦半島へツーリングへ行った時でしたが保土ヶ谷パーキングエリアで休憩していると妙な事に気が付きました。サイドスタンドで停めているのにメインスタンドも降りているのです。調べるとメインスタンドを引っ張り上げている突起が欠けていました。手持ちの針がねでメインスタンドをくくりつけ事無きをえましたがバイク屋に修理で持って行くとこれは設計が悪いんだとのこと。これでは「首無し飛燕』の頃とちっとも変わってないと言うことです。 名機三式戦闘機【飛燕」を設計した土井技師の無念さは伝わっていないのです。世界に冠たる機体を設計しても国がいや会社が作れる力がない・・・。これほど無念なことは無いでしょう。  同じ技術屋としてKAWASAKI車はもう2度と買うもんかと心に誓いました。

900SS(Ⅰ) (1989)
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まだまだ名前を知っていただけです。乾式クラッチ? ジャダーがでる? 一体何の事だろうと思っていました。 外車ってむずかしいんだな位の認識でした。
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by SS992 | 2006-06-22 18:47 | お世話になったお姉様達