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番外編 巨星落つ!クラウディオ・カスティリオーニ 氏 往く

 MVアグスタの元CEO、クラウディオ・カスティリオーニ 氏 が2011年8月17日永眠されました。
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享年64歳、ご冥福をお祈り致します

氏はカジバ創設者の息子として生まれ、その生涯をバイク会社経営に捧げてきました。

1978年アエロ・マッキ社買収に始まり、1985年にはDUCATIを買収、傘下に収めました。

1986年にはハクスバーナのオートバイ部門を買収し、1992年にはMVアグスタの商標権
手に入れました。

1999年にはDUCATIを売却せざるを得なくなったものの、F4セリエオロの発売によりMVアグスタの復活に成功し、カジバはMVアグスタのブランドに成りました。

 MVアグスタ F4 セリエオロ (1999年式 水冷4気筒 750cc)
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(今でこそF4は1000ccありますが当時、氏や相棒のタンブリーニ氏は750ccで充分だと言っていました。)
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 DUCATI スーパー・バイク・レーサー 916 (1994年 水冷Lツイン 916cc)
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そのMVアグスタ経営不振で一時期ハーレーに買収されましたが、ハーレー自体も経営が悪化し、
2010年、MVアグスタは氏の下に帰ってきました。
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氏がどれほどバイクを、MVアグスタ F4 を愛していたかを物語るエピソードがあります。

1999年4月20日夜イタリアのモンツァMVアグスタ F4 の発表会が開かれました。

そして翌日は試乗会、しかし、天候はあいにくの雨模様でした。

そのため、は突然、試乗会は中止だ!と言い出したのです。

確かに雨天での走行は危険を伴いますが、プレス関係者は世界中からこのためだけに来ているのです

雨で試乗会が中止になるなど前代未聞の事、喧々囂々の騒動になりかけました。

氏にとっては愛するF4が泥をかぶる事の方がよほどの重要問題だったのです。

結局、氏は折れて散々使ったテスト車両なら、但しゆっくりと走れば・・・と言う条件でOKを出したのです。
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ここまで来るとバイク愛もわがままと紙一重ですが氏にとってはそんな事はどうでも良かったのかも
しれません。

氏のまいた情熱の種は氏が今まで売ったバイクの数だけあります。

きっと氏の開いた道は綿々と受け継がれ、その扉は絶える事なく開かれ続ける事でしょう。
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by SS992 | 2011-09-28 08:23 | アイサツ

709.空冷Lツインへの憧憬 (5) レーシング・パンタの活躍

 パンタ系レーサートニー・ラッターという名手を得て1981年から1984年までの4年間、
マン島フォーミューラTT2優勝し続けました。
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 前回、私はパンタ系のエンジンはベベル系のエンジンに対するコスト・ダウンを狙ったものだと考察
しました。

しかし、タリオーニ技師の才能は単なるコスト・ダウンに止まりませんでした。

ベベル系をよりリファインした合理的な設計大幅な軽量化高回転化を可能にしました。

これはこのエンジンが非常にレーサーに向いているという事です。

冒頭に記したトニー・ラッターの活躍はパンタ600SLから進化した600TT2マシンが成し遂げたものでした。

そしてこの偉業はエンジンだけが勝れていたから達成されたものではありませんでした。

もう一つの革新、トリレス・フレームの採用が大きな力となりました。

 DUCATI パンタ・レーシングのフレーム
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別名バード・ケイジ・フレームとも呼ばれた、パイプをトラス構造に組んで強度を増した構造です。

レーシング・パンタはこの構造のおかげで軽量のまま必要な剛性を得る事が出来たのです。

もう一つの特徴はエンジン後端にスイング・アーム・ピポットを持つ事です。

これによりエンジン長が長くなるLツインを装備してもホイール・ベースを短く設定出来たのです。

このエンジン、フレーム共に革新的改良を施したパンタ・レーシングTTF1でも活躍しました。 

 DUCAT TT1 750ccレーサー
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                                                     (この項続く

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by SS992 | 2011-09-26 21:00 | 憧れだった美女達

708.空冷Lツインへの憧憬 (4) パンタ系の登場

 パンタ系のバイクのエンジンの特徴カム駆動の動力伝達の方法でした。

ベベル系のモデルはエンジンからベベル・ギア伝達シャフトを回し、伝達シャフトは再びベベル・ギア
介してヘッド部にあるカム・シャフト、デスモドローミック機構に動力を伝達する様になっていました。
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それに比べてパンタ系のエンジンは動力の伝達方法コグド・ベルトを使用していました。

 パンタ系のエンジン
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コグド・ベルト(歯付きベルト)の見本
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(上はSB888のエンジンですが、裸になったコグド・ベルト(歯付きベルト)の様子が良く判ります。)

こうして見るとパンタ系のエンジンはベベル系に比べ、より合理的な設計になったと言えます。

しかし、私はこの変更は本来、コスト・ダウンが目的だったと考えます。

何故、そう考えるのかと言うとパンタ系が登場した時、まだベベル系は展開期でした。

またベベル系モデルの排気量が900~1000ccあるのにパンタ系500~650ccとより少排気量でした。

 DUCATI 500SL (1979年式 空冷Lツイン 500cc コグド・ベルト)
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DUCATI 600SL (1981年式 空冷Lツイン コグド・ベルト)
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 DUCATI 600TL (1982年式 空冷Lツイン コグド・ベルト)
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 DUCATI 650SL (1983年式 空冷Lツイン コグド・ベルト)
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ここまでで初期パンタ系のモデルは終わりますが、私は排気量の設定から考えて、この初期パンタ系モデルベベル系の下位モデルだったと思います。

ただ、デスモドローミック機構は全機種とも搭載していた様です。

そして600TLはレーサーとして進化し、レーシング・パンタの始祖となりました。

DUCATI TT2 600 レーサー (1982年 600cc TT2レース優勝車 トニー・ラッター座乗)
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(TT2レーサーはデスモドローミック機構を当然積んでいました。)

そして再びDUCATIは新しい技術革新をなしました。
                                                     (この項続く

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by SS992 | 2011-09-22 21:00 | 憧れだった美女達

707.空冷Lツインへの憧憬 (3) ベベル系Lツインの展開

 DUCATI空冷Lツイン750GTから始まった事はすでに述べました。

 DUCATI 750GT (1971年式 空冷Lツイン 750cc ベベル ノン・デスモ)
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このモデルはデスモドローミック機構こそ積んでいませんでしたが、当時の他社のモデルと
比べると非常にスポーツ性の高いものでした。

翌年には更にスポーツ性を増したモデルが出ました。

 DUCATI 750スポーツ (1972年式 空冷Lツイン 750cc ベベル ノン・デスモ)
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そして1974年には1972年のイモラ200マイル・レース優勝を記念したイモラ・レプリカが発売されました。

 DUCATI 750SS (1974年式 空冷Lツイン 750cc ベベル デスモドローミック機構搭載)
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ここまでのモデルは総称してラウンド・ケースと呼ばれます。
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エンジンのデザインに丸みがあるのが特徴です。

但し、このラウンド・ケース、外形の美しさに反してエンジン側のベベルギアシャフトの根本の強度が
不足しているという弱点
がありました。

その点を改良したのがジウジアーロ氏がデザインしたスクエア・ケースでした。

 DUCATI 750SS (1975年式 スクエア・ケース)
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この後、ベベル駆動Lツインエンジンは全てスクエア・ケースになりました。
そして750SSは排気量を増やした900SSに進化しましたが、

 DUCATI 900SS (1975年式 空冷Lツイン 900cc ベベル駆動)
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実は900SSが登場する前にSSとは別系統のモデルが造られていました。

 DUCATI 860GTS (1976年式 空冷Lツイン ベベル駆動)
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(デスモドローミック機構の搭載の有無は不明です。)

 DUCATI 900GTS (1976年式 空冷Lツイン ベベル駆動)
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(デスモドローミック機構の搭載の有無は不明です。)

 DUCATI 900SDダーマ (1977年式 空冷Lツイン ベベル駆動)
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(このモデルもデスモの搭載の有無が不明ですが、900SSから直接、派生したモデルなのでデスモも積んで
いると私は思っています。)

 DUCATI 900SSダーマ (1978年式 空冷Lツイン ベベル駆動)
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(900SSという名前からしてデスモ搭載モデルと考えられます。)

 DUCATI 900S2 (1983年式 空冷Lツイン ベベル駆動)
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 DUCATI 1000S2 (1985年式 空冷Lツイン ベベル駆動)
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こうして見るとDUCATIのラインナップが決してレーサー・レプリカに特化していた訳ではない事
判ります。

それどころか、1978年に活躍した900TT1レーサー900SSダーマ母体としていました。

 DUCATI NCRレーサー (1978年 マン島TT優勝 マイク・ヘイルウッド車)
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 DUCATI 900MHR (1979年式 空冷Lツイン ベベル駆動 デスモ搭載)
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このモデルは性能的には決してレプリカではなかったのですが、1985年の1000MHR・MILLEまで続きました。
                                                     (この項続く
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by SS992 | 2011-09-18 21:00 | 憧れだった美女達

706.DUCATI空冷Lツインへの憧憬 (2) Lツインまでの道程

 DUCATIスポーツ・バイクのスタートは公道レース用の少排気量レーサーでした。

 DUCATI グラン・スポルト・レーサー (1954年式 OHCシングル100cc ベベル駆動)
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( 通称マリアンナ、伝説的技師ファビオ・タリオーニの設計第1号 )
まだデスモ・ドローミック機構は搭載されていませんでした。

この後、シングル・スポーツは次第に排気量を拡大しつつ、進化を重ねました。

レーサーでは1958年にすでに125ccGPレース用の市販レーサーにデスモ・ドローミック機構
搭載しました。

 DUCATI 125ccGPレーサー (1958年式 DOHC125cc単気筒 ベベル駆動)
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 市販車では10年遅れで1番初めにデスモ・ドローミック機構を搭載したのは
250デスモMkⅢでした。

 DUCATI 250 デスモ MkⅢ (1968年式 OHCシングル250cc ベベル駆動)
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(上の写真はどちらも250デスモMkⅢと表記されていました。)
(2011.9.15追記:DUCATI博物館の資料によれば下図の写真が本来の250デスモMkⅢの様です。)

DUCATI 450 デスモ (1974年式 OHCシングル450cc ベベル駆動)
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これはシングル最後にして最大排気量のモデルです。

もちろん、デスモ・ドローミック機構を搭載していました。

この後、日本車に対抗するためにLツインが採用されるのですが、

 DUCATI 750GT (1971年式 OHC Lツイン ベベル駆動 ノン・デスモ)
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実はこの当時、DUCATIにはもう一つ別のライン・ナップがありました。

それは並列2気筒(パラレル・ツイン)のシリーズです。

 DUCATI 500GTL (1975年式 OHC並列2気筒 500cc)
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 DUCATI 500スポーツ (1977年式 OHC並列2気筒 500cc デスモ搭載)
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 DUCATI 500GTV(1977年式 OHC並列2気筒 500cc デスモ搭載)
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しかし、このシリーズは排気量が少ない事もあってか、Lツインの影に隠れてしまい、1981年には廃盤
なりました。

このパラレル・ツインLツインより登場が後だったのはDUCATIがたとえ、デスモを積んでいなくても
Lツインはより上位のモデルだと考えていたからだと思われます。

つまり普及版のモデルを用意していたと考えられるのです。

しかし、ユーザーがDUCATIに求めるものはスポーツ性であり、強力な出力でした。

少排気量車では日本車が断然、有利でありDUCATIは大排気量車に活路を見出すしか無かったのです。

 DUCATI 750スポーツ (1972年式 OHC Lツイン750cc ベベル駆動 ノン・デスモ)
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(大排気量車と平行して350~400ccのミドル・スポーツも販売されましたが、これは免許制度の関係で
生まれたクラスであくまでも傍流でした。)
                                                     (この項続く

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by SS992 | 2011-09-14 21:00 | 憧れだった美女達

705.DUCATI空冷Lツインへの憧憬 (1) レーサーとそのレプリカ

 の愛車「峰風」は2003年式DUCATI SS1000DS です。
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残念ながらSS1000DS2006年で廃盤になってしまいました。

某誌の評論ではDUCATIは常にレースを主眼として考え、そのレプリカを販売して人気を得て来たと
ありました。

SS1000DSはその流れから外れた存在になってしまい、消えざるを得なかったと言う論旨でした。

確かに、近年のスーパーバイク世界選手権優勝レーサーとそのレプリカの販売はそれに当たります。
 DUCATI S・Bレーサー1098F08 と そのレプリカ (2008年優勝 トロイ・ベイリス車)
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これはDUCATIの主力が空冷Lツインだった時代でもそうでした。

 DUCATI イモラ・レーサー (1972年イモラ優勝 750cc ポール・スマート車)
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 DUCATI 750SS (1974年式 750cc ベベル)
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 DUCATI NCRレーサー (1978年マン島TT優勝 900cc マイク・ヘイルウッド車)
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 DUCATI MHR (1979年式 900cc ベベル)
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MHRデザイン重視のバイクで性能的にはレプリカではありませんでした。

 DUCATI パンタ・レーシング (1982年式TT-2優勝 600cc コグド・ベルト)
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 DUCATI パンタSL (レプリカ 600cc コグドベルト)
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 DUCATI パンタF1 (1985年デイトナ・バトル・オブ・ツイン優勝車のレプリカ コグドベルト)
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しかし、本当にDUCATIの製品ライン・ナップ成功出来たのはこのレーサーとそのレプリカの関係だけ
だったのでしょうか?

次回はその辺りの事を述べてみたいと思います。                      (この項続く

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by SS992 | 2011-09-10 21:00 | 憧れだった美女達

704.V型4気筒エンジンの誕生 (3) FWSの使命

 FWSはHONDA社内の開発コードです。

本来の名前はRS1000RW、前回チョットだけ触れた営業部隊から要請のあったVFシリーズ拡販用の
レーサー
です。

しかし、当時の関係者は(ライダーを含め)このレーサーをFWSと呼んでいました。

 HONDA RS1000RW (1982年式 水冷DOHCV4 1024.48cc)
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このレーサーは通常のレーサーと大きく異なる事がありました。

それは設計要求がほとんど白紙委任状だった事です。

HONDAの会社側から出された要求は2つだけ、90°V4エンジンを積む事、そして絶対勝利する事、
それも圧倒的な勝利を獲得する事でした。

開発期間1年もなく、このため、エンジン以外は比較的オーソドックスに纏められました。
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一番苦労したのは排気管の取り回しで、後バンクの2気筒を集合させた排気管は管長を稼ぐために
リア・カウルの中でトグロを巻いていました。
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そのためリア・カウルにはがこもり、カウルが燃えたりしました。
対策としてリア・カウルにメッシュ部分が設けられましたが、どれほど効果があったか、疑問です。
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しかしそんな事はFWSにとって大きな問題ではありませんでした。

それは下の写真を見れば判ります。
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ガソリン・タンクの側面を見て下さい。

HONDAのウイング・マークの後にあるのはガソリンの給油口です。

普通のレーサーガソリン・タンクの上に給油口があります。

つまりFWS左側からしか給油しない設定なのです。

これはFWS1982年のデイトナ200マイルレースただ一回のために作られたものだったからです。

デイトナのコースは左回りピットも左側だったのです。

実際にレースが始まると2st500ccGPレーサー2st750ccレーサーもあまりの性能差に驚きました。

そう、あのケニー・ロバーツさえも顔色なからしめたのです。
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ただ、その強烈な性能に当時のタイヤがついてゆけず、トレッドが剥がれるチャンキングと言う現象に見舞われピットインの回数が増えて結局、順位は2位でした。

しかし、その重々しい排気音とは裏腹な圧倒的な速さに観衆はV4エンジン強い印象を抱きました。

FWSVFシリーズ拡販用の宣伝ツールとしての役割をじゅうにぶんに果たしたのです。

この後、V4レーサーRVFとして最強の名を欲しいままにしますが、それはまた別の機会に・・・。

                                                      (この項了
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by SS992 | 2011-09-06 21:00 | 憧れだった美女達

703.V型4気筒エンジンの誕生 (2) VFシリーズの投入

 バイクの場合、普通はレーサーがまずありきで、その技術市販車にフィードバックするものです。

しかし、HONDAVFシリーズは違っていました。

量産V4の開発が決まってから現地営業部隊の要望V4レーサーデイトナ200マイルレースへの
参戦
が決まりました。

市販車の開発1981年から始まりましたが、レース部門との交流はほとんど無かった様です。

明けて1982年HONDAはついにV4市販車を発表します。

それがVFシリーズです。

 HONDA VF750F セイバー (1982年式 水冷V4 750cc)
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(プロリンク・サスを装備したスタンダード・スポーツ)

 HONDA VF750 マグナ (1982年式 水冷V4 750cc)
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(HONDAが目玉と考えていたアメリカン・モデル。ガソリンタンクを2つ持ちます。)

この2つのモデルは主として北米向けで駆動もシャフト・ドライブを採用していました。
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(セイバーのエンジン、後部にシャフト・ドライブの駆動部が見えます。)

そして欧州向けには半年遅れでチェーン駆動VF750Fが発売されました。

 HONDA VF750F (1982年式 水冷V4 750cc)
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当然、スポーツ性セイバーより高く北米でも人気モデルとなりました。

発売初年度でセイバー2万台VF750F2万3千台を売り上げ、新しいHONDAの金看板を上げると
いう当初の目的は果たせたのです。

                                                     (この項続く


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by SS992 | 2011-09-02 21:00 | 憧れだった美女達