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「峰風」とともに

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555.ノートンの歴史はバイクの歴史 終焉と再生

 デイトナ200マイル・レースで結果を残したいノートンはある決断に踏み切りました。
それは従来のパイプ・フレームの使用をやめ、カウリングがそのまま強度部材となるモノコック構造
採用する事でした。 これにより更なる軽量化が望めるはずでした。

ノートン JPN モノコック 1973年
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この点、世界GPに復帰するにあたり、4サイクルで2サイクルに挑戦したHONDA NR500
同じ決断をしました。

HONDA NR500 1979年
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ただ、ノートンとHONDAの決定的な違いはエンジンの冷却方式でした。
HONDAは大馬力エンジンの発生する熱を冷却するため水冷を選択しましたが、
ノートンは新エンジンの開発が、出来ない状況だったため、空冷エンジンを採用せざるを得ませんでした。
(コマンド・エンジンのチューンナップ品)

このフレームの大きな特徴は前輪直後のカウリングの形状です。
今までのパイプフレームでは空気抵抗の軽減に努めてきたはずなのに
モノコックボディではいかにも空気抵抗の悪そうな形状になっています。
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また、やはり、エンジンの冷却問題も起きた様ですが、当時の材料と技術では仕方なかったのでしょう。
モノコック・ボディの材質はスチール板 ステンレス・スチール板でした。
(それでも日本だったら絶対に採用されないデザインです。)

ただ、1973年のノートンJPNモノコックの活躍は空力、軽量化、ハンドリングの向上が単に馬力ばかり
大きい相手なら互角以上に戦える事を証明しました。
(以外に空気抵抗は問題にならなかった様です。)

しかし、エンジンから発生する熱とそれが引き起こすトラブルは結局、解決出来ませんでした。
その結果、1974年型はフレームを従来のパイプ・フレームに戻さざるを得ませんでした。

ノートン JPN スペース・フレーム 1974年
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やっとエンジンの前の邪魔板がとれ、エンジンは充分冷却出来る様になりました。

この辺りの経緯もHONDA NR500 と似ています。
NR500はメンテナンスやセッティング毎にエンジンを降ろさなければならない煩わしさから
通常のフレームに戻っていきました。

NR750 ルマン   1987年
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DUCATI GP-9 のモノコック・フレーム   2009年
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現在、バイクでモノコック構造が有効なのは DUCATI の デスモセディッチ 2009位でしょう。
これはノートンやHONDAのモノコック構造と異なり、カーボンファイバー製のエアクリーナー・ボックスを
ハンドルを支持するヘッド・パイプ
として使い、メインフレームはエンジンと
それに直結したスイング・アーム
、と言う内部骨格型のモノコック構造なので、
フレームが無いだけで整備・セッティングは従来型と全く変らないのです。

今、ノートンはロータリー・エンジンで再生を図っています。(520,参照)
名門の復活は成功するのでしょうか?
私はノートンの復活を望んで止みません。
by SS992 | 2010-01-30 19:44 | メカ談義