2009年末から3回だけ放送された「
坂の上の雲」・・・。 どうやら、2010年も年末だけ3回放送する予定の
ようです。 2011年も同じで 合計9回 の作品となる(?)のでしょうか?。
でもなんで、こんな
複雑怪奇な放送形態をとるのでしょう。
私は前2回の記事で日本人の心の根底にある「
剣の道」に対する
憧れを取り扱ってきました。
その結果、気付いたのです。 「
天地人」で武士のあるべき姿を求め、ある程度、実現した男を描き、
「
竜馬伝」で武士のあるべき姿が
開国によって見直されてもなお、生き残る事を・・・。
(これはまだ「竜馬伝」が終わっていないので推論に過ぎませんが・・・。)
そして、「
坂の上の雲」では生き残った「
剣の道」が国際情勢上、危うい状態にあった
日本を救いつつも、その後の
歴史を誤った道にはまり込む様、
誘導してしまった事を描こうとしていると、
考えました。
「
天地人」では戦乱の世とその終わりが描かれ、「
竜馬伝」では混乱の時代とその中で日本人が何を信じ、何を選び取ってきたのかを描き、その二つの時代を背景として
明治時代以降の戦乱と混濁の時代の始まりを
描く「
坂の上の雲」を「
天地人」、「
竜馬伝」、二つのドラマと
オーバーラップさせる事によって
更に
鮮烈に描こうとしていると私は思いました。
日清戦争・・・まだ
実質上の武士が多数存在していた時代・・・。
武士が戦闘に望む時、その戦闘力は
ハード・ウエアの差を補って余りあるものでした。
また、
礼と公正を重んじるその戦いぶりは
世界から賞賛されました。
清国 北洋艦隊旗艦 定遠 厚い装甲と30センチの巨砲4門を装備していました。
日本艦隊旗艦 松島 装甲は薄い巡洋艦ですが、速度が速く、備砲も12センチと小さいですが
発射速度が速く、清国、北洋艦隊はその弾雨に敗北しました。
(松島の主砲は32センチでしたが、結局使い物になりませんでした。)
日露戦争・・・この時も
実質上の武士は生き残っていました。
その彼等が
勝れたハード・ウエアや新技術を手にした時、無敵になる事を示しました。
旗艦 三笠 上で指揮を執る東郷司令長官
バルチック艦隊の首脳陣が重装甲に囲まれた司令塔内に陣取っていたのに比べ、
東郷司令長官はその幕僚は司令塔内に非難させていましたが、
本人は吹きさらしの露天艦橋で指揮を執り
続け、自らは
戦死してもそれまでに研究し続けてきた
T字戦法の態勢を完成させる事を
最優先しました。
結果、
バルチック艦隊は全滅し、日本は外交を
有利に進める事が出来ました。
ここでも、礼を重んじ義を愛する「
剣の道」は日本を
勝利に導きました。
そしてここが重要なのですが
戦争に勝つと言う事は勝っている内に戦争をやめると言う事を
政府首脳が良く理解していた事でした。
しかも、
敗者に対する労わりの心も持っていました。
日本のあちこちにあった
ロシア人捕虜収容所で行われていた事を知っていますか?
文盲の人が多かった
ロシア人下級兵士に対して
自分の名前さえ、読み書き出来ないのは
余りに
気の毒だとして
ロシア語教育が行われていたのです。
しかし、ここで
勝ってしまったが故に後の
大陸派兵と南方進出と言う分に余る事を
精神論で推し進めると
言う
過ちを犯してしまいました。
戦争は
外交の1手段に過ぎず、決して
勝つことが目的ではないのです。
敢えていえば、
第2次大戦もハワイ・マレー沖海戦の後、即、終戦交渉に入り、場合によっては勝ちつつも
無条件降伏すると言う選択肢もあったと私は思います。
最低限、ABCD包囲網さえ外せれば目的は達せられるからです。
もし、ここで全面的に手を挙げられたら
連合国側は困り果てたのではないでしょうか?
世界中が成り行きを見守っています。
幾ら
無条件降伏した相手でも粗末に扱えば世界中から非難されます。
しかも、彼等は
勝っているのに無条件降伏したのです。
原爆を落すなどもっての他です。 軍は解体されるでしょうが、国民は返って軍備に力を取られること無く、
速やかに復興した事でしょう。
我々日本人が美徳とする
公正で無私な為政者が居り続けていれば・・・と、残念で堪りません。
いや、我々がそうした指導者を育て、選んで行く様にすれば良いのです。
まだ遅くは在りません。