1983年 WGPではタイヤの性能も上がりスリックタイヤが当たり前になっていました。
ここに一人、他のライダーとは全く違うライディングをするライダーが現れたのです。
その名かケニー・ロバーツ当時はYAMAHAと契約していました。
YAMAHA YZR 500 1983年 ケニー・ロバーツ
他のライダーがコーナーを奥まで突っ込みブレーキングして向きを変え加速して
コーナーを脱出するのに対し、ケニーは速度を極力落とさず大回りでコーナーを
回ったのです。
結果的には圧倒的にケニーが早くWGPチャンピオンに何度もなっています。
この速度を落とさないコーナリングのためにハングオン(正しくはハングオフ)が
必要となったのです。
ケニー・ロバーツに対し従来の乗り方に近い方法をとったのがHONDAの
フレディ・スペンサーでした。
HONDA NS 500 1983年 フレディ・スペンサー
彼は「誰よりも早くブレーキングし、誰よりも遅くコーナーに入り、
誰よりも早く立ち上がる!」と言われる乗り方でやはり何度かタイトルを物にとしています。
83WGPの勝負は僅差(数インチ)でスペンサーが勝利しました。
どちらの乗り方が正しいと言うものではありませんが現在の主流はケニー流です。
このあたりからハンドリングについても研究がさかんに行われる様になりました。