マツダ(旧東洋工業)の看板として有名な
ロータリー・エンジンは着想は古く、
1588年にイタリアの
ラメリーによる
ロータリーピストン式揚水ポンプが記録に残っています。
その後、
蒸気機関の一種として研究され、蒸気機関の父
ジェームス・ワットも開発を試みましたが
失敗、彼が発明した
レシプロ式蒸気機関には気密性、耐久性の点で
遠く及びませんでした。
その後
1938年にフランスの
サンソー・ド・ラブーによって
ロータリー機関の理論は
飛躍的に
進歩しましたが、やはり
気密性や冷却性に問題があり実用化には到りませんでした。
1924年、ドイツの
フェリックス・ヴァンケル技師(当時20歳)は
レシプロ・エンジンが
往復運動を
回転運動に変換しているのは
非効率であり、
エンジンは回転運動のみで完結させるべきだと考えました。
彼はピストンやバルブの
往復運動は高速運転の妨げであり、コンロッドやクランクといった
変換機構は
余分なスペースを生じさせていると考えたのです。
ヴァンケル・ロータリーが如何にシンプル・コンパクトであるか判ります。
また作動工程も4stより2stに近く、
エンジン1回転につき1回の爆発を実現しています。
かつエンジン作動の
各工程を厳密に区分する事が可能なので2stの問題点である混合気の吹き抜けの
問題も
吸排気口の位置の工夫によって避けることが出来ました。
(上の理論図のままでは吹き抜けが起こります。)
しかも
出力は
実排気量の2倍相当の高出力が得られました。
この様に
ロータリー・エンジンは4stと2stの良いとこ取りをしたエンジンの様に見えました。
しかし、実際は潤滑の問題でガソリンに潤滑油を混ぜる2st方式を取らざるを得ず、
排気ガスが汚い、
四輪にも共通する事ですが、
燃費が悪い、
排気ガスがマフラーを赤熱させるほど高温であると
いった実用車とするには色々と解決しなければならない問題を抱えていたのでした。
(
この項続く)
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